生産者紹介
夢を動かす農業系ジャイアン
せいくんから皆様へ
高校卒業後、全国規模のスポーツ施設をつくる会社に入りました。
いつかは父がやっているみかん農家を継がないといけないなとは思っていましたが、前職の仕事内容や会社の人達、協力業者の人達などがいい人ばかりだったので、居心地が良すぎてずっとこの会社で働こうかな?と悩んでいましたが、7年目の時に愛媛国体の為、地元西予市の旧宇和球場の新設工事があり、現場監督として工事をしました。
その時に地元の広報紙にまさくんの『どこの産地も高齢化、後継者不足は「ピンチはチャンス」ではないか』という記事を見て、一緒に明浜のみかん農家を盛り上げたいと思い前職を退職し帰って父がやっていたみかん農家を継ぐ事にしました。
土木をやっていた時は、人と話をして仕事を進めていた分、農業はみかんの木が今何をしてほしいか話せないので自分の中では一番頭が痛かったのですが、みかんの木はやった事に対して素直に返事をしてくれる分、木の様子を見て手を掛けて上げればみかんの木が答えてくれて美味しい実を付けてくれるのでおもしろいなと思います。
明浜で農業(みかん農家)の楽しさや技術を今まで繋げてくれている人がいます。
次は僕達が次へ農業(みかん農家)の楽しさや技術を天晴農園の仲間達と一緒に次へ繋げたいと思っています。
頼れる農家の兄貴分
まさくんから皆様へ
小学3年生から高校3年まで野球一筋、動物関係の専門学校にいき、将来は動物園で働く予定!だったが福岡のペットショップに就職。そこで専門学校で同じクラブだった今の嫁さんと再会!
23歳の時にここ明浜町俵津でみかん農家継ぐ。
じいちゃんがみかん農家をしていて、小学生の頃はよくみかん山に連れだされ、みかんつみの手伝いに行っていました。
その頃は集中力も続かずすぐに飽きては違うことをして遊んでいましたが、そんな日常があったからこそ、なんとなくですが地元にはみかん作りがある!と思っていたんだと思います。
冗談半分でじいちゃんに将来はみかん農家継ぐと約束して喜んでくれたのが忘れられません。
少しはじいちゃん孝行ができたのかな
今どこの産地も高齢化、後継者不足等言われていますが、これはピンチはチャンス!!なんじゃないかと思い、真面目に楽しくみかん農家と向き合えたらと。「夢はでっかく根は深く」
明浜は土地柄、日当たりのいい山が多く水はけの良い美味しいみかんができる産地です。
今まで地域に育ててもらいいろいろ経験させてもらいました。
大好きな明浜で結婚し、子どもができたことにより、これからは自分達が継いでいかなければいけない立場になったんだなと感じます。
明浜で孫やひ孫がみかんつくりができる環境を天晴農園を通じて残していけたらな。
みんなの癒し系 ムードメーカー
あっくんから皆様へ
小さい頃に自分のみかんを家族に食わせながら楽しそうにみかん自慢をする父親に憧れて、いつの日からか将来の夢はみかん農家になることになりました。
高校までは地元の学校に通い高校卒業後、本当は愛媛県内の農大に行くつもりでしたが父ちゃんに「おまえはよその産地も見てきた方が良い」と勧められて、静岡にある果樹研究所興津拠点に入所。
遠く離れた地でホームシックと日々膨張していく自分の身体に戸惑いながら、いろんな地域から集まった友達や先輩達と充実した2年間をすごしました。
そして、研究所を卒業後20歳で地元明浜に帰郷!
そのまま農園を一部継承するかたちで就農しました。
昔は爺ちゃんと婆ちゃんと父ちゃんの3人でしていた農業経営でしたが、僕が就農するまでの数年間、父ちゃん一人で畑を管理していました。
静岡にいた頃研修でいろんな産地に連れて行ってもらいましたがどの農地でも”農家の高齢化””後継者不足”という話しをたくさん聞きました。
そんな中でも明浜には個性の強い後継者がいて、話しを聞くとはじめは農家になるつもりは無かったという人もたくさんいました。
これからは先輩達がつくってきた農地が空いてきます。
そのままにしてしまうと残念ですが、すぐに実の採れる畑が手に入るので新規就農者や後継者にとってチャンスにもなり得るのではないかと思います。
天晴農園のみんなでこれからも自分を育ててくれた明浜みかんの味が残っていくように、みんながかえりたくなる明浜をPRしたいです。
園地で笑うアイディアマン
名前:上甲信輔
生年月日:1982年6月1日
趣味:ラーメン食べ歩き
特技:コーラ一気飲み
動物に例えると:シマウマ
しんくんから皆様へ
高校を卒業後建築の専門学校に通い就職も兵庫県の建築関係の仕事に就職していました。
なので実家の農家を継ぐなどまったく考えていませんでした。
しかし今の嫁と出会い結婚を考えるようになり将来は明浜に帰って実家の農家を継ごうかなと考えるようになりました。
そのことを嫁に話しました。
最初は反対されましたが親が元気な間は兵庫県で今の仕事を続けて将来親が仕事ができなくなったら明浜に一緒に来てくれるように話し理解してもらい結婚をしました。
その後しばらくすると父が心臓の手術をして働く事があまりできなくなったので明浜に帰り実家の農家を継ぐ事になりました。
農家は体力さえあれば出来る仕事だと思っていましたが実際は覚えることもたくさんあるし考えることもたくさんあるとてもやりがいのある仕事でした。
小さい頃は家の手伝いをほとんどしなかったので農家の大変さを知りませんでした。
でも今は、手伝いをせず大変さを知らなかったので農家をしてみようと思ったのだとプラスに考えています笑。
将来の目標は嫁さんが明浜に来て農家をやってくれて良かったなと思ってくれることです。
その目標のために天晴農園の仲間と協力して頑張っていきたいと思います。
農家を支える天晴サポーター
さっきーから皆様へ
インスタグラムで天晴農園を知り
お客様を笑顔にさせるためにSNSやイベント等でおもしろい企画をされてる天晴農園を見て、ファンになりました。
それから、天晴農園のみかんを自分のお世話になっている人たちや友人に自分の大好きな天晴みかんを送ったところ
「こんなみかんを食べたことない」という言葉を聞いて僕はうれしくなり自然と笑顔になっていました。
これが天晴農園が良く言っている「僕たちの天晴みかんで笑顔が繋がりますように」なんだなと思い
ますます天晴農園の大ファンになったんです。
今度は天晴農園のみなさんに会いに行きたくなり
天晴農園のイベントに参加したり、収穫や摘果などの農業体験を一緒にしました。
僕も天晴農園のみんなみたいに楽しく仕事をしたいなと思っていたら、天晴農園のみんなから
「さっきー一緒にやろうよ」と誘ってくれて、以前勤めていた会社を退職し明浜に移住することを決めました。
これからも僕が大ファンになった天晴みかんを少しでも多くの人に知ってもらえるために、ファンであった頃の気持ちを忘れずにがんばりたいと思います。
出荷を司るエキスパート
名前 酒井圭太
生年月日 平成5年9月6日
趣味 映画鑑賞 漫画をみること
特技 髪の毛の具合によって天気がわかること
動物に例えると コアラ
けいちゃんから皆様へ
昔からみかんを食べる事が好きで、
しかし、
とりあえず就職をしようと、土木の専門学校を卒業してそのまま、
数年働いて、
ここでは、
みかんを出荷していく中で、お客様から美味しいなどと、
やっぱり地元のみかんは美味しいんだと
携わっている内にこの美味しいみかんを自分でも作りたいなと思う
地元で、
自然の中での、
この作業を続ける内に、天晴農園さんとの関係も深まり
一緒に働きたいなと思うようになり、
自然に触れ、明浜の行った事がない土地や景色を見ることができ、
これからは農業のことを学んで、
また、明浜や農業の魅力は、来て、見て体感してもらわないと、
おっちょこちょいのミラクル男
ゆーすけから皆様へ
農業系金曜ロードショーや天晴フェスなど
SNSや地域に根付いて積極的に活動している天晴農園のことを好きになりました。
それから、天晴フェスやみかん収穫などメンバーと一緒になって活動して、
応援したいというファンの気持ちから、
一緒にお仕事をしたいという気持ちに変わっていきました。
この仕事を始める以前は 介護士の仕事に携わっており、
農業とは無縁のお仕事でしたが、 お客様(利用者さん)を楽しませたいという気持ちは同じだと思っています。
映画やアニメが好きなのでその趣味を活かして農業系金曜ロードショーやPR動画の撮影、 編集を行っています。
お客様が面白いと思ってもらえるような動画づくりをしていきたいと思います。
おっちょこちょいな僕ですが、 精一杯頑張りますので、よろしくお願いします。